NKK2007あとがき 四年目に入る前に





十一月、バイト先で朝の出発用意をしている間はあれだけ寒さを感じていたのに、真冬の今、むしろあの頃より寒いとは感じない。身体が寒さになれてきてる。
もう少しで立春。ラジオからは「一足早い春」という言葉を聞くようになったが、たぶんここの春はまだまだ先になるだろう。
今年の感じからすると、バキンバキンになる朝もさほど多くなく、このまま春が来そうな気がする、と予想した通りの冬になったことは今まで一度たりもない!という村のタネちゃんの名言もふまえつつ、今日も僕たちは薪をせっせと家の中に運ぶ。

春どん、俺、まだストーブの上でトースト焼きたいからゆっくりおいで。

途中で停まってしまって、ほんのちょっと休むつもりが、あれよあれよとほぼ一年近く空いてしまった。隔週で書いていたことが今では信じられない。 
文章を書くのは好きだ。その程度は別としても、とにかく昔から作文はクラスの誰よりも早く書けた。考えて書かないから。だからここを書くのも全くわけなかった。夜中に目が覚め、止めどなく広がってしまったとき、薪を割りながら頭がたいくつしたとき、酒を呑んで緩んだとき、車を運転してて突然降ってきたとき。大体は頭の中で完成させておいて、順序を変えたり、ちょっと手を加えれば一丁上がり、な毎回だったのだけれど、セニョール、人間サボることを一度憶えるとダメですね。
あと一向に進まなくなったのは、生活が単純に二巡目、三巡目に入って来ているというのもあると思う。同じことを書くのは辛い。
しかし、次回を心待ちにしている人も少なからず居るみたいだし、40回も続けたのだから、なんらかのものを書いて最後をケジめたいと思いはじめた。マル。

ネットである以上、直接感想を聞くことは滅多になかったが、たまに届く反響で、楽しみにしてくれてた人、とても細かく読んでくれる人なんかが居ることを知る。
レスポンスしてくれた人達、ありがとう! 
そして、もちろん、レスポンス<すら>してくれなかった人も。

いいんだよ。

どこかの街のどこかの部屋のパソコンの前に座る君、性別も歳もそしてもちろん名前も知らない君、冬にはむだ毛を伸ばし放題の君、そんな君達のニヤリ(ヒゲパンチ)とした顔だけを想像して僕は書いてきた。君達にお礼を言いたいのは、不特定多数にぶっちゃけることは、ある意味自分にとってものすごく痛快なことだったから。だから、たまに剃ってくれればそれでいい。

頼まれもしないのに40回!痛みに耐え良くがんばった!感動した!と自画自賛してみても、基本的には全て暇の成せる技。ま、今もさして忙しくはないのだけれど…。
それにしても、当時の自分の文章を見てみると、すごく大げさで恥ずかしいな。何がどう変わったのかは自分にもわからないが、もう、ああいうテンションで書くのは無理だろう。

ここに暮らしはじめて、もう少しで丸三年になる。でも、考えてみればたかが三年。
新聞の何かの記事で「移住したら最低三年は辛抱すること」と書いてあるのを見た。
幸い僕たちは「辛抱している」という感覚など微塵もなくその期間を終えようとしている。だが三年という言葉には、なるほど!と思う部分もある。

いろいろひっくり返して、ドッカーンとここに来て、一切の制約がなくなって、めちゃくちゃに自由なんだけど、その裏にはべったりと不安が貼り付いてて、過剰に自分が変わることに期待したり、どうでもいい部分で身構えてたり。
毎朝、中三バリのテントを張ってハッタリかましても、やっぱりまがりなりにも一人の社会人として暮らしてきて、無自覚であったにせよ、いつも間にか出来つつあった自分の立ち位置がなくなってしまったことには相当動揺した。散々忌み嫌っていた自分を囲む全ての、なんというか、でっかい壁のようなものは、同時に自分を肯定する言い訳のための相対的な材料でもあったわけだから。

その周りの壁がたんぱたんと倒れたとき、そこに手ブラで立っているかのような心もとなさ。なんにもなくなったとき、なんだけやけにサラの状態の自分がポツンと。
人間再起動、ぼぉ〜ん。
スースーと風が吹き抜ける場所に立つと、身体の真ん中から時々おさえてもおさえても、二日酔いで胃液を吐くときの、あんな感じの、何かが腹の底から湧いてきて震える。情けない。

ここでまず向き合わなければならなかったもの、それは自分の情けなさだった。
全て自分の選択であった筈なのに、何故か笑えない状況。本末転倒な状況はしばらく続いた。僕たちには四月の平沢はまだかなり寒く感じた。

おもしろいことに、今は手ブラじゃないのか?と言われれば、よくよく考えると僕たちは依然手ブラのままだ。増えたものは猫一匹。いんや、精神的にはもっと手ブラ度が増してきてるといえるだろう。手ブラ以上フルチン以下。自分は葉っぱでギリギリ隠れている状態。ムラは武田久美子よろしくホタテの貝殻。相変わらずなんの保証もないもない、言ってみればその日暮らしだけれど、心もとなさを感じることはない。何かそう思わせてくる環境だということと、自分自身のどこの部分さえ残せばOKで、どこの部分が要らないのかハッキリしてきたからだと思う。

時給780円からの視界はわりと良好也。

このNKKを書き出したのも、他人の為というよりはむしろ自分の為だった。
文章を書くことは、ちょっとした安定剤みたいなものだった。
今から思えば<なんかやってる感じ>が恋しかったのだと思う。

それまでの自分というものを、何かをやった積み重ねの結集したものだとしたら、何もやらない、何も発信しないということは、自分の存在が無くなってしまったような、そんな怖さ。
自ら飛び込んだ筈なのに、自分の思ってた以上につながりが切れることが寂しく、ずるがしこく命綱だけは離そうとしない。それまでがそれまでだっただけに、そういう感じに慣れていなかったんだな。
でも僕は焦った。何か不必要に焦っていた気がする。
もっともこれは物事を前のめりで考えたり、やったりしてしまう自分の性分が関係している。今から思えばもっとのんびりしていてもよかったのに。とも思う。
幸いなことに、移住当初はやらなければならないことばかりで、課題をひとつづつクリアしていくにつれ、なんとなく、ふわっと命綱を離してこの土地に着地していた。

それからまた時は過ぎ、別にあれこれおおげさに騒がなくても、僕はここで大きく息を吸い、大きく吐くことができるようになり、自然と「書かなくては…」と思うこともなくなってしまった。ここに居ることが完全に普通になった。それが一年前。

どう変わったのかなんて自分にもさっぱりわからない。たぶん変わってはいないのだと思う。ただ自分が広がってきているとは思う。こじあけ、こじあけ、こじあけるために出たのだからこれは全く本望なのだけど、随分と今まで物を知らない(経験してない)で生きてきたもんだと未だ感じることも多い。
逆に言えばそれまでの生活が、人として、社会人として、<うまくやる>ためのうわべのテクニックばかりで、人間が生物として生きていくという根源的なことについて、いかに何も知らないでもよかったものだったかということ。映画「IN TO THE WILD」の主人公と自分を重ねてしまうのも、かなりこっぱずかしいのだが、どうしてあの若者が街を出たのか?はわかる気がする。

何か一番大切なことがずっぽりとぬけているようなドーナツ人間。つかみきることを遠ざけてしまうテクノロジー。手を伸ばし易いように目の前に差し出されるものは、いつも決まってどうでもいいものばかり。ひっくり返しただけの新製品。瞳孔が開き切った昼下がりのワイドショー。瞳孔が閉じてしまった駅長さん。必要条件としての差。えげつのない眉毛。下品な美食。又聞きの真実。眠らない佐波。宿帳の嘘。自分の人生にかじりつき、むさぼり喰いたいという衝動。

二十代の頃から感じ始めていたもやもやは、三十代を半ばを越えた頃にはほとんど病的なものとなり、周りの友達には「口を開けばめんどくさいことばかり言ってる奴」と思われていたろう。ほんと迷惑な奴だ。
ただ、どう楽観的に考えても、自分達が乗っているこの船は沈みそうな気がしてしょうがない。根拠なんかなくたって、思ってしまったのだからしょうがない。万一このまま沈まないで無事に港に着いたとしても、そこは僕の行きたい場所じゃない。しかし具体的な何か行動を起こすことなどできるはずもなく、というより日々生きていくだけで精一杯だった。

そんななかで2005年末「北海道移住」というカトキチ達からひょっこり投げ込まれた浮き輪。動機や目的は違うが、もうこれをつかむしかない。そんなに色々腑に落ちないことがあるのなら、失敗しようが自分でやってみて納得するしかない。もうそれしか道が残されていなかったとも言える。どのみち、そのモヤモヤを胸に溜めながら、これからもずっと生きていくなんてありえなかったから。

「あのまま東京に居たら今頃どんなになってるだろね?」ムラと話すこともある。しかしそれは単純な想像の遊びで、自分にはこの選択しかなかったと最近は増々確信してる。

つまり僕は<来たかった人>ではなく、<出たかった人>だった。
もっと突っ込んで言えば<出ざる得なかった人>。

ひとつ断りたいのは、これはあくまでも自分はこうありたい!という所からの答えであり、出る、出ないに、正解、不正解、などないということだ。街の中においても自覚的に生きていく才能を持ってる人なんてごまんといるし、僕はそういう人達を尊敬している。『賢者は街の中に居る』だっけ?(たぶん間違っている)全くその通りだと思う。

ただ同じ時間を生きている人達で、たぶん同じようなことを悶々と感じ、同じような選択をする人もきっとどこかに居るはずだ。
巷にあふれる雑誌などで<来たかった人>が取り上げられることがあっても、<出たかった人>を見かけることがないのは気のせいだろうか?

NKK2007を書いていたあと半分の理由は、そんな自分と似たような<出たい>人達のためだった。事実、北海道ではないが、似たようなことをしようとしている何人かからメールを頂いたこともあった。それはすごくうれしかった。

ボットン便所がイヤ!なんて泣き言を言っているお粗末なレベルの男でも、やがてそれがなんでもなくなり、そしてついに今日めでたく便所の中でおにぎりが食べられるようになりました!ひゃっほー!!というようなことを赤裸々に書くことで、同じ<出たい人>達の肩を押したり、単純に参考になればと思って書いていた。となれば、スタート地点はできるだけ低い方がいい。だから泣き言は積極的に書いたつもり。別に最初は田舎暮らしに憧れがなくてもいいと思う。俺も全然なかったから。それどころか、絶対無理だと思ってた。
でもそのうち田舎の楽しさと美しさと気持ちよさと可能性に必ず気付くはずだ。この僕が言うのだから間違いない。

とも言えないな。ま、人それぞれです。ほほ。

隣村の太一くんは、むしゃくしゃした時、iTunesでANTHRAXをダウンロードして、それをヘッドホンで聞きながら薪をカチ割ったと言っていた。つまり、何が言いたいのかというと、今はおのおのの田舎生活を、自分のスタイルをキープしつつ作ることができる時代だということ。
これは自分も勘違いしていた部分で、無意識に何かこの土地に合わせようとしていた部分があった。パンクロックなんて聞いてちゃ、ここでは楽しく生活できないのかなと。やっぱ、聞くなら、こうせつかなと。しかしこの悪人面はここでも変わらないとわかって、すべてぶっちぎりはじめてから、とても暮らしやすくなった。ここがどこだろうが自分は自分で変わりようがない。フルボリュームでぶっちぎってわかったのは、むしろ地元の人もそれを望んでいるということ。楽しくやりたいようにやれと。少々にぎやかな方がいいからと。
インターネットの存在も大きい。本当のことがネットにあるとは決して思わないが、こんな山奥においてもさほど疎外感を感じないのは、ネットのおかげだと思う。

つまり2010年、こんな未来に(意味わかるでしょ?)田舎で暮らすということには、ものすごくいろんな方法とスタイルがあってもおかしくないということ。スローライフという「おはなし」にはめ込もうとしているのは雑誌だけ。ま、とにかく、NKKの中には雰囲気だけじゃない本当のことを書くことで、そこにいろいろなヒントを見つけてくれればいいなと思っていた。たとえば、自活していくことのシビアさであるとか。
笑えないことでも笑いに変えていくコツとか。それについては同時に自分自身も加藤家を見て教わったことでもあるんだけど。

「人生はおおげさなものじゃない」と佐藤伸治は唄った。その場所に立つことができると、すごく視界が広がる。視界が広がると、割に人というものは自由なんだということに気付く。「人間は犬に食われるほど自由だ」と藤原新也は書いた。逃げ水を追いかけるよりも、人生なんてとっとと棒に刺して犬に食わそう。これからは、おのおののソロバンでひとつずつ足したり引いたりして、答えを出すしかない。そういう時代だ。自分もけして答えが出た訳ではない。ただその覚悟はできている。これは悲観したり、暗くなったりすることではなくて、自由で楽しいことなんだということを、僕はこのNKK2007の中でいつも書きたかった。読んだ人の頭に少しでも隙間を作り、自由な気持ちになれるものを。僕が音楽からもいつももらっているあの感じを。服さえ脱げば溺れることはない。あとは好きなように泳ぐだけだ。

そして泳ぐのなら一人よりも二人のほうがいい。というより僕一人だったならまず無理だったろう(うんうんとみんなうなずく)。こういう生活ではお互いの得意な部分と不得意な部分を上手く噛み合わせていかないと回っていかない。当然相手に求めるものもシビアになる。ムラにいじめられ、泣きたくなる夜もあるけれど、とにかく自分はツイでよかったな、と最近はしみじみ思う。
NKKは妄想にかられた男が嫁と猫を道ずれにしつつも、なんとかバランスを保っているというところが、一番おもしろい所だと自分では思う。もしムラが居なければ「勝手にやってろ!」っていう話だもん。行き過ぎないいい場所は、ムラが居なければ見つけることはできない。二人は二倍の楽しさになるわけではないが、一人とは種類の違う楽しさになる。

そのムラだけれど三年経って、僕の目から見てもかなりたくましくなったと思う。
スズメぐらいはその場で〆てしょうゆ垂らして頭からかぶりつく。

たくわんを頬張りながら、便槽におっ立ったウンコタワーを倒す。
は嘘としても、最近では、僕がビックリするくらいの広さを一人で普通に雪かきをしていた。二の腕もかなり太くなった。頭が下がります。
ただ、やはり冬が長いと感じるらしい。というのも、彼女は緑がとても好き。緑の無い世界はちょっとキツイらしい。しもやけも酷いしね。

わかった!じいちゃん、ばあちゃんになったらハワイに住もう!

と、ま、毎度の様に、いろいろ妄想込みで、長々と、ちんたら書かせて頂きました。ここまでたどり着いたかた、あんたもすきね。

いやいやほんとありがとう!あんた正しいドア開けてるよ!ばうばう!
ついでに、最後にちゃぶ台ひっくり返すけど、ここまで書いてきたことは、もう自分にとってどうでもいいことなので、みんな忘れてください。忘却ビ〜ム!!

とにかく、今、僕たち(猫二匹含む)はここに立っている。


これが重要。

出た理由なんていつからかどうでもよくなった。一体これから自分達に何ができるのか?。これからが全てだな。そこだけに集中したいし、逆に言えばそれだけで精一杯。あれもこれもと世に溢れる不条理で頭を埋め尽くすより、自分達に出来ることを精一杯やるほうがよっぽど世のためになる。

上だけを向いて歩こう。

実はこの文章の冒頭からここまでくるまでに相当時間が経っている。

冬はあたりまえに極みをめざし、タネちゃんの名言通り、予想以上に雪が多く暖冬とは言えない冬となった。

冬に麓郷街道を運転していると、頭の中でバウバウしているもの、胸のなかでカサカサしているもの、それらのものが突然パタリと鳴り止む瞬間がある。何故かそのとき、生唾がじゅわっと出て、そのとき、きっと僕は誰かに催眠術をかけられたような顔をしていると思う。
とても好きな瞬間だ。
布部川からは水蒸気がもうもうと立ちのぼり、ところどころには樹氷が。その中をシンとした心持ちで走り抜ける。僕は木々の中に潜り込み、周りと同じ、ただの模様となる。この白い街道を走ることができるのもあと一ヶ月かな?
こういうことって、ここに来なければ絶対味わえなかったろうな。

考えみると、こんな縁もゆかりもない北海道の山奥に住んでいて、歩いて行ける距離に古くからの友達が居て、そいつがマヨラーで、お互い健康で、それまで接した事のない様なたくましい人達に囲まれて、家の中の雨漏りが凍って鍾乳洞が出来ていて、何かよくよく考えると不思議というか、普通ではない感じはする。今が自分にとってどんな時代だったのかは、それは時が経たないとわからないけれど、いつかムラと自分達の人生を振り返ったときに「なんか、あの時代はちょっとありえないような楽しい時間だったねぇ」とお互いに言い合えるような、そんな時間を今過ごせているというのだけは分かる。

全くもって将来のことなどわからない。その時、僕らはどこにいるかはわからないけれど、ただここで楽しく暮らせていられたなら、その時まだ近くに仲間が居たのなら、それはそれですごく素敵なことだ。



とにかく、僕は今この場所が気に入っている。







今週読んだ105円本
なし

※でもハワイもいいなぁ。バウバウ。

※あ〜、やっと書き上がったぁ!!今回はやたら進まなくて、なんか随分長いこと書いてたなぁ。もうすぐ春か…バウバウ。
※もし40話完読している方がおられましたら、そっと心の中で手を上げてください(意味不明)いや、冗談抜きでありがとう。こういうのは見られてなんぼだからね。
※そーいえば、前回、車で知らない人にすれ違いざまやたら会釈されるって書いたと思うんだけれど、その話しに実はオチがあって、僕が聞いている音楽に合わせて首をひょこひょこ動かしているのを、どうやら向こうが会釈と勘違いしてたらしいのです。だっふんだ!


※では次回、NKK2012「絶望」でお会いしましょう!ピース!
今は亡きタウンエース号と撮った最後の写真
こいつは最初から最後までほんとよくがんばってくれました。