春なのに25度を越えていこうとするような時もあるさ




あるさ


何だかそれはデート日和なんだ。ちゅんちゅん。

周りがやけに賑やかになりだす。
北海道の春として考えたら気持ちが悪いほど暖かさが続く。

その日、僕らは富良野市内の暑さに置いてきぼりにされた。
買い物のついでにアイスを買う。イヤな予感はしたが、案の定、昨年型のビンテージ物だったそれは、古い味と古い形をしていた。

今日は短パンでもいけるな。実際短パンの人もちらほら見かけた。夕方になればあっという間に寒くなるのを知ってて穿いてる。アンタモスキネ。
それに対して、置いてきぼりをくった二人の下半身は未だにハイテク下着。ほっかほか。汗だくだく。ハイテク下着は水分と反応して熱を発するように造られている。
相乗効果っておもしろい!
買い物している間中、のぼせて気分が悪い。おえー。

今年僕らの薪になる木がもう倒されたらしい。
この土地では木が畑を日陰にしてしまっている所など、いろいろな理由から木が倒される。
それを僕らが頂く。その木の供養のつもりで、灰にしてしっかり畑に撒いてやる。
薪割りがいよいよ始まると本当にここでの生活が一巡したって感じがする。
ところで薪割りをやって初めて知ったことがある。それは生きている木ってもの凄く重いってこと。
特にニレの木は水分が多いせいなのかとても重い。30cmくらいで輪切りにしたやつでも、1つ30キロぐらいはあるかも。それが丸ごと一本だと正にトンのレベル。それを頭とテコの原理を使って無数に切って、載せて、下ろして、割って、乾燥させるためにきれいに積んでいく。
やっぱり大雑把な自分は積むのが苦手。そこはムラにまかせて、もっぱらチェンソーで切りまくって、割りまくる。

ガルル~!俺様は妖怪パッコリだ。俺の視界に割られちゃ困るものは置くなよ! 泣く子はいねが~。

冬の間、体を動かしてないから、ちょうどいい塩梅のトレーニングのつもりでやっている。今はまだ楽しんでできる体力があるけど、70歳になったときにこれを出来るであろうか?ちょっと自信ない。
それにしても4月下旬でなんでこんなに暑いの?チェンソーにガソリンを補給する度に自分も水を飲む。平沢の水は少々ぬるくなっても平気で飲むことが出来る。返す返す書くが、この水が蛇口から出るなんて本当に幸せなことだ。

「ムラ、あの木の枝だけハラって今日は終わりにしようよ、もう俺、疲れた」

作業後、Tシャツの中に下から手を入れ、火照って熱くなった胸のあたりを自分でモミモミする瞬間が何故かとても好きだ。

帰りに重い薪を車に積めるだけ積む。後ろががっつり下がって苦しげな模様の我が愛車。
この車もこの1年でかなり鍛えられたことだろう。おまえ、たくましくなったな!
帰り道から平沢を一望するために窓を開けてゆっくりと進む。そして頭の中は当然ビール。さすがにこんだけ暑いと焼酎よりも、まずはビールを飲みたくなる。

「ムラ、藤林(商店)にアイスでも買いにいかない?」

僕は藤林に行く口実を作る。もちろん目的はビールだ。

買い物カゴの中にこっそりとビールを仕込むあの瞬間が何故かとても好きだ。

ところで、冬もいいけれど、やっぱり北海道はこれから6月までが最高のシーズン。
真夏は案外当たり外れが激しい。
母親はこの時期の気持ちよさを、冬を乗り切った自分達に対する神様のご褒美だと言っていた。そんなに冬が辛かったのか?って少し思うけれど、それぐらいに気持ちが良いのは確かだ。ものすごく晴れているのに、風はほどほどに冷たく、空気は乾いている。スカっとした清涼感のある季節。

僕は家につくなりシャワーを浴びて、髪なんかほとんど拭ききらないで、背中にはまだ水滴がたぶんビショビショについてままで、大急ぎでさっきの買い物袋からビールを取り出し、紙のパッケージを(あえて)歯で喰いちぎる。ガルル!やっとありつけたぜ!いただきっす! 

んっー(沈黙)

落ち着くと、虫の声がやっといい塩梅で耳に入り始めた。春ゼミっていうらしい。あと聞こえるのはカッコーの鳴き声。ここらではカッコーが鳴き始めたら、種を撒いていいって言われている。今年は少々フライング気味でほうれんそう、春菊、カブを植えた。
あぁ、早くカブの漬け物喰いたい!この家の前には何も無い。正確に言えば牧草畑なのだが、それがもう既に一面緑色。
机に座り、虫やカッコーの声、緑色とオレンジ色に反射する雲のコントラスト、それらをつまみにビールを飲めば思うことはひとつ。

「んっー、完璧!」

なんか、昨年も同じような事を書いている気がする。
だけど、実際、そう思うんだからしょうがないべ?佐波くん。
というよりも、今回からここに書いてある生活は二巡目に入っているわけで、これからは当然同じ事を書く可能性は大きいと思う。極端に言えば、前の年と違うところを探すのが難しいくらいのお話になるんじゃないの?
つまり、ここを10年間続けるのも、ここから最初に戻って10回読むのも、あんま違わないと思う。でも、止めないよ。暇だから。
だから読んでる人にもそれぐらいに思ってほしい。
というよりも逆に「いつまでも変わらない物」としてとらえていて欲しい。

たとえば「薪割り」のことが出たなら、読む人は
「あぁ、もうそんな季節になったんだねぇ、そろそろ衣替えしなきゃね」とか。

たとえば「ライジングサン」のことが出たなら、読む人は
「あぁ、夏も終わりだねぇ、今日は上着一枚持って出た方がいいねぇ」とか。

たとえば、リスが妙な宇宙のことをしゃべりはじめたら、
「あぁ、そろそろ圭一(孫)の誕生日だのぉ…。今年は何を買ってあげようかのぉ…。婆さん、お茶!」とか。

そんぐらいのものに逆になりたい。全部コピペですむから。

うそよ。

とは言っても、ちょっとずつ去年とは変わってるんだけどな。
去年の濡れタオルが今年はシャワーに昇格とか。
あとラジオ買いました。実際に聞いてみると、いいかげん無音生活に慣れてしまったせいなのか、DJのしゃべりがここで聞くにはちょっとキッツかった。しゃべりが派手すぎ、無理に笑いすぎで、長いこと聞いてらんない。そんなおかしいか?その話題。
一番良かったのはAMのNHK。ニュースのトーンが淡々としていて、アナウンサーの声も耳の当たりがちょうどいい。かけている曲もへんな演歌とか、懐メロ、昔のビルボード物とか、あとおもしろいのは公開放送。これがいいんだわ。音がしょぼい感じがまるで居酒屋にいるみたいで。


または飲みに行った帰りの深夜のタクシーの中で薄くかかっているAMラジオのおもむき。こちょこちょ。

あーたまんね。そろそろ焼酎にすっかな…。

僕のプリン小屋での作業も残りわずかとなった。
いつも以上に最高なプリンを焼こうと、いつも以上に魂をこめて焼いている。俺の魂プリン。喰った人、どうだったですか? 喰った瞬間「体が少し中に浮く」との報告アリ。そんな魂を込めている最中、車で誰かがやってきた。ヒゲのお兄さんが降りて来てニコニコしながらこちらに向かってくる。
あっれー、今日、取りにくる人いたっけ?

「あの、取りにこられた方ですか?」

「いやー、ただ来ただけなんです。(最近はそういう人も多い。プリン屋だってことすら知らないでくる人すら居る。一体、アムプリンのどこが有名になってんだ? 俺らの妙な髪型か? 不思議だ)」

「もっと、しゃべってくれます? 字数をかせげるので」

「もっとしゃべっていいんですか?」

「どうぞ、どうぞ、今回なんか調子悪くて、なかなか原稿が埋まっていかなくて…」

「あの失礼ですけど、加藤さんですか?」

どうやら、観光の途中でついでによったアムプリンのファンの人らしい。僕は魂のプリンを作っている最中なので手を止めている暇などないのだが、字数をかせぐためにヒゲのお兄さんとの会話を続けた。しばらくするとヒゲのお兄さんの彼女も降りて来た。二人の肌触りが僕達4人と良く似ている感じがする。そのおかげで最初から安心して話せた。

「この人、さっき泣いたんですよ、あまりに景色が綺麗で」

「泣いたって!」

「いやー、僕たち、結構日本中をあちこち廻ってるんですけど、こんな所は無いですねー。あまりに景色が綺麗で泣いちゃいました」

この二人は神戸から来たのだそうだ。なんでも移住を計画していて、その移住先を探す旅をしている最中らしい。そういえば、僕らも道内を廻ったことがあった。
その時、後ろに乗っていたバム平は移動区間のほとんどを寝ていて、移住候補地を探すという目的を完璧に忘れ、完璧に単なる旅モード。道東を廻っている最中にあの有名な開陽台に寄った。バム平はむくっと起き上がり開口一番こう言いくさりやがった。

「アムちゃん、ここに住みたい!」

「住めねぇよ、バカ!」

あの旅は楽しかった。
でも考えてみたら、このプリン小屋の建っている場所もまるで開陽台みたいなシチュエーションなんだよな。バム平の夢、立派にかなってるじゃん!
「じぶんたちのすむところをさがそう」っていう子供発想の旅も、そう滅多にできることじゃない。俺らどこまで自由なの?って感じで。自由すぎて訳が分からなくなってたもん。

毎日、そこらのもん焼いてくって。車運転して。奇声あげて。午後3時頃夜に入る温泉決めて。
その旅にはムラは途中から加わったのだけど、千歳空港に迎えにいった僕らに対する彼女の視線は、まるで野人を見ているかのようだったのを憶えている。

僕はあの旅のウキウキを思い出し、作業は止まってしまっているが悪い気はしなかった。

「冬寒いですか?」

「そりゃ、暖かくはないですけど、気持ちいいですよ。この周りは真っ白になるんですよ。今で泣いてるくらいなら、たぶんそれ見たら失神しますよ」

おみやげを渡しに来ただけだということだったのだが、会話の端々に彼らの本気具合が伝わり、このまま返すのがしのびなくなり、カトキチに電話。

「帰りに寄っていっていってくださいよ。加藤くんならいろいろ教えてくれると思いますよ。もし本気なら空き家も探してくれるんじゃないかな?」

終止ニコニコだったヒゲのお兄さんと彼女。わざわざ休日にと恐縮していたが、カトキチの家に寄っていくと言って帰っていった。ヒゲのお兄さんが振り返ると、ウィンドブレーカーの背中には「SUCIDAL TENDENCIES」のロゴが。ニヤリヒゲパンチ。家みつかるといいな、あのスーサイダルのお兄さん。

後日、カトキチから聞いたのだが、そのおみやげは「タコキムチ」だったのだそうだ。
ワオ!ドンピシャ!喰いたかった~!
僕の大好きなタコと僕の大好きなキムチ。その奇跡の組み合わせを生み出した神の閃きに感謝。それをおみやげにしたそのセンスに感服。

そしてもっと後日。

スーサイダルのお兄さん、あっさり隣村に移住決定。
当人の真剣な様子をみんなが感じて、いろいろな人が動いてくれて、すごく良い条件の物件が見つかったようだ。

本気だと物事が上手く運ぶってことがあるってことは自分らも体験した。ここで楽しく暮らしていられるのも、ちょっとした奇跡が集積した結果だ。「超ラッキー!」としか思えない数々の局面がなかったら、今ここまでやれていなかったろう。
もし同じようなことをしたいと考えている人に僅かながらアドバイスが出来るとしたら、出来るか否かをいくら考えてもなんの意味もないってことだ。
それよりも問題なのは自分が本気か否かであって、一番肝心なのはその一点のみだと僕は思う。

いろんな人のお世話にならなければ田舎では生きてはいけない。
いや、むしろその感じこそが田舎暮らしの醍醐味と言える。

本気の時とさほど本気じゃない時では、そこで出会う人が全く違ってくるような気がするんだよな。
当然、ストーリーも変わってくると。

本気には神様が宿るんだよ、たぶん。「本気(マジ)の神」っていうダッセー名前の神様が。

名前はともかく、俺、そういう神、好き。

ともあれ、本気だったスーサイダルのお兄さんは、6月にあっという間にやってくる。

歓迎会をやる予定




マジに飲むぜ。




今週読んだ105円本
「ダディ」郷ひろみ著

※今回の写真はカッコイイ壊れ方をした選りすぐりの五点です。どうぞお楽しみください。尚、今回はクリックしても大きくなりません。