俺、冬の方が好きかも




俺、ワイハに行きたいのかも。

午後2時すぎ、プリン焼きの早番が終わった僕は、丘を歩いて下りながら別にどうでも良いことに気付いた。
息を思いっきり吸う。美味い。めちゃくちゃ美味い。
「空気が美味い」そんな言葉を今まで使ったことはないし、軽くそういういことを言う人に対しては、かなり懐疑的だったのだが、その時吸った空気は掛け値なしで美味かった。吸い込んだ瞬間、体の真ん中がツルッとするような。
夏には思わなかったこと。これも冬のなせるわざかも。
白く生まれ変わった畑は、鹿かなにかの足で一杯だ。ちょっとギョッとするほどの数。
平沢は人間が動物に囲まれている土地だ。
そういえば、晩秋に大きな鹿の群れに遭遇したことが会った。その時、正直、ちょっと恐怖を感じた。あっちも必死。こっちも必死。
そんな鹿も、大多数が冬を越すことができずに淘汰されるらしい。そういう世界に日々触れていると、なんか背筋を伸ばさなければと思う。そして本来、人間もそういうことでいいんだと思う。強いものが生き残るっていう意味じゃない。飯食って、うんこして、寝る。That'it! 飯が食えなかったら死ぬだけ。生きるってことの保証のなさ。幻想。もともとそんなもんは無いって考えに立って生きていった方が、逆に丁寧に明るく悔いなく生きられるような気がするのだが。

最近、僕とアムちゃんは「狐につままれる」とか「狸にばかされる」とかああいう類いの話は本当だったんじゃないか?って話で盛り上がった。
ここらでは、結構本当にそういう話を聞く。
僕はあり得ると思う。最近そういう話を聞かないのは、単に人間の方の感度が落ちているからだと思う。あっちはあっちで「なんか、最近、あいつらと噛み合わなくね?」って話されているに違いない。

今日、小屋の中でみんなでしたことはかなりショッキングな内容だ。
エゾアムプリンの根源を揺るがしかねないこと。
カトキチがいきなり気付いた。

「プリンってバニラビーンズを使ったものをいうんだから、これプリンじゃないじゃん!」

「えーっ!これプリンじゃないの? じゃ、何?」

「いやー少なくてもプリンじゃないんじゃないかな?プリンって言っちゃだめなんじゃないかな?」

「じゃ、俺たち、かなり明白な偽りを言ってるってこと? ヤバいじゃん」

「じゃ、これは一体何なの? このデカ物は!」

「…」

「なんだろ…卵料理?(笑)」

じゃ明日からすぐに、名前「蝦夷卵料理」にしなくちゃだよ(笑)」

プリン修行も終わり、もう自分で焼き始めた。
僕はめんどくさがりだけど、作ること自体は嫌いじゃない。もちろんプリンを焼くこともしかり。奇麗に焼くにはかなり知恵と手間をかけなければならない。オーブンの中の位置によって、お湯の入れ加減によって、ガスの具合によって、プリン液の温度によって、蓋のしまりぐあいによって、プリンの焼き具合が千差万別に変わる。
全部の要素のデータを頭に入れ、子供のようにきめ細かく手をかけながら、バラバラな個性を理解してあげつつ、いかに人様に気に入られるような良い子に焼くことができるか? それが腕の見せ所であり、一番楽しいところでもある。
ただ、わたす(し)、根が大雑把。焼くこと自体は楽しめても、それ以外にあるかなりたくさんの作業を注意深く、そして丁寧にこなしていかなければならない。それがまだ自分の血肉になっていない。自分の基準をすべて変えていくのは思った以上に大変だ。
これもひとつの精神修行なのだと思えば楽しめる。

小屋に続くこの道は、夏よりも歩きやすい。
周りの景色も冬の方が好きだな。白くなった山がいっそう近く、尖って見える。
白くないものがない。
まるでマーガレットハウエルの寝室みたい。俺もおしゃれなことを書くようになったねぇ。
雪のない冬もそれはそれで好きだけど、それだと極端なことを言えば夏と冬の違い、それは気温だけだ。ここは冬には冬の世界がある。冬の楽しみが立派にある。
俺、冬の方が好きかも。日本酒も美味いし。ちょっと長靴だせぇけど。

そんな呑気なことが言える余裕があるのは、今年の冬の雪が少ないから。
少なかった昨年よりもさらに少ないらしい。
しかし、富良野、特にここ平沢は、もしかして周りに比べてそんな雪の多いところでは無いかもしれない。車で移動して帰ってくると、平沢の雪の少なさに気付くことが何回かあった。ある人が言ってた。

「なに、ここらの雪は周りから比べると、実はそんなに多くはねぇんだ。台風もこねぇしな。地震もねぇだろ。あと梅雨もねぇだろ。こんないいところねぇぞ。少々しばれる(凍る)だけだ。少々な(笑)」

ただ食べ物については、冬は多少まんねり気味。夏にはいろんなものがあった。
湧き出るような豊富な食材。自分でもいだり、頂いたり。
今年はFRESHの概念が根本的にひっくりかえった、FRESH元年
さてFRESHとは?すなわち味が濃いってこと。全部濃くて美味かったな。
味が濃いから、凝ったことをしなくとも充分満足感がある。

まず、思い出すのは秋のらくよう。採ってきてそのままバーベキュー。
今まで食べたもののなかで一番すきかも。
あれ、美味かったな。ブリブリで。

カトキチの作ってくれたます寿司も美味かった。
普通、川魚って臭いのに、釣ってきたその足でさばくからか全然それがない。
あれ、美味かったな。ブリブリで。

あと、自分で作ったそばも東京で作ってたときより美味い。気がする。
全然下手っぴなんけど、水がさ、全然違うし。通年水温が低いから、そばがよく締まる。
ネギも自分で作ったやつで、もう最高しょ?佐波くん。来たら食べさせてあげるよ。

アイヌネギ(行者にんにく)のジンギスカン。これも外せない。
アイヌネギって今、農家の方が畑でも作ってるんだけど、僕らが食べたのは本当に野生のやつ。これも味の濃さが違う。急斜面と悪戦苦闘しながらたんまり採ってきてジンギスカンにして食べた。北海道の中でさえどこでも食べられるものではないと思う。札幌にはああいう食べ方はなかった。銀座であれを再現したら高いと思うよ。ま、無理だけど。
自分で作ったーマンも美味かったしな。

今年は何を植えようかな。貯蔵についてもっと勉強しないと。
自分で作ったものを通年食べていくっていうのが理想なのだが、ここは頂けるものが多いのでそういうものは無理して自分では作らない。
キャベツはもう作らん。あれ大変。もう青虫が取りきれなくて、最終的には彼らにくれてやった。ボーナス。青虫くんよくがんばったで賞。
オーガニックで野菜を実際作ってみてわかったのは、現代農法と比べて手間がかなりかかるってこと。オーガニック野菜って都会ではどれぐらいの値段で売っているのかわからないけど、商売として考えたらその分は当然値段に転嫁せざるえないわけだし、高くて当然だと思う。
ちなみに、オーガニックでもっと上いくと「ほったらかし農法」というのがある。ほとんど手をかけない農法。自分で食べる分には
それは理想。どの分野でも「名人」がやることはなんでも簡単に見えるし、シンプルなロジックになっていくしょ?「ほったらかし農法」はたぶんそういう類のものなんじゃないかな?

もうひとつわかったのは、野菜は製品ではなく生き物でありバラバラなのが本来の姿だってこと。スーパーで売っているものがどうしてあんなに均一かと言うと、農家の方が凄い手間をかけているというのと、かなりの数のものを規格外としてハネているという現実がある。きゅうりは曲がり加減まで決められている。メロンは表面の模様とか。きゅうりの場合だとそのために、1本1本、筒に入れて曲がりを押さえている。これは生き物として考えたらちょっと不自然な育ち方だ。つまり農家の方はやりたくもないことやって、都会の人はちょっと不自然なものを食べている。なんかへんだよな。本当にまっすぐじゃなきゃ、売れないのだろうか?もうそろそろ買う側もかしこくなってきいるし、そういうことをキチンと消費者にアナウンスさえできれば、誰にとっても喜ばしい結果につながるような気がするのだが。

今年は何を植えようかな。
きゅうりとピーマンは絶対作ろう。あと長ネギ。大豆、かぶ、ほうれんそう、かぼちゃ、なす、トマト、とうもろこし、いも、だいこん、にんじん、あとにんにく、こまねち。

あの丘、ボードやスキーで滑ったらきもちいいんだろうな。
来年こそスノーボードをはじめよう。今年は膝を完治させるためによしたけど。
だって海外からわざわざ来るような雪質なんだから、やらない手はないべ?
富良野市内はこの冬、めちゃくちゃ異人さんが多かった。

かなり大げさに手を振って、前方から誰かが歩いてくる。
タネちゃんだな。なんか子供みたいな歩きかただな。
ここらの農家さんは冬の運動不足を解消するために、この時期限定で散歩する人が多い。

タネちゃんはさっそく、タバコに火をつけこう言った。

「もう仕事終わったんかい?」

「ムラはまだやってるけどね、それよりフェラーリ、ウインターテスト調子いいらしいじゃん!」

実はタネちゃんと僕は、お互いが村で唯一F1の話題が話せる人物として貴重なのだ。
ここの生活に入るタイミングで、とりあえずテレビはもう止してみようと思った。
アンテナが折れていたのは逆に好都合。
だがF1だけはどうしても見たい。F1に興味のない人に毎戦録画を頼むのは、非常に心苦しい。半ばあきらめていた。しかし居たのだ!ここにもフェラーリファンが!それがタネちゃん。
僕は、タネちゃんのおかげで、毎戦1日遅れでビデオを見ることができる。
生放送の日本GPはビールを参してタネちゃん家に鑑賞しに行った。
レース自体がグダグダだったので、途中から僕らはタネちゃんがネットのダウンロードで集めた航空写真を見はじめた。30年前の平沢の写真とか。
それがさ、今とその違いがわからないの!ちょっとかわいいでしょ。ここ。
来年も見にいきたいな。F1と航空写真。

タネちゃんとの会話はきっかりタバコ1本分だった。

今年の夏は旅行をしたい。キャンプ。バイクを直して独りでツーリングってもいい。
去年はいろいろやることが多すぎて、それどころではなかった。
やっぱり道東がよさそうだ。あと昔、バイクで行った尾道の町が忘れられない。
あそこ、なまら、さいこう。
北海道に無いものが全てあるって気がした。どっちが良いって話じゃなくて。対局の世界。

合わせるとだるまの形になる。
また行きたいんだけど、都市開発しちゃったらしいね。

北斗星にも乗りたい。寝台列車って最高だと思う。
10年ちょっと前、友達二人とアメリカ東海岸から西海岸を結ぶ鉄道、アムトラックに乗ったことがある。今気付いたけど、アムトラックって名前かっこいい。アムちゃんのトラック。アムトラック。Caost to Caost。東海岸はニューヨークからタート。途中で緊急停車。列車内で火災発生。ゴミ箱から火が出たらしい。
一緒に行った友達が放火犯に疑われたりして。めちゃくちゃ疑われてたな、彼。
英語も満足に話せないのにどう弁明したんだろ?
彼曰く「横でタバコを吸っていた中学生くらいの女の子が、ゴミ箱に吸い殻を捨てたのを見た」って言うんだけど、凄い剣幕で詰めよる車掌にどうやって冷静に英語で説明できたんだろうね?それがかの有名なロボ宙(友達)マジック。
とにかく、どこかわからない駅で列車は緊急に止まり、降りたホームらしき広場で僕はグレープフルーツジュースを飲んだ後ろを見ると車両は消化剤で白くなっていた。
なんておもしろい旅なんだろう!
個室寝台はわりと空いてた。ロボ宙だけ違う部屋でさ。
その事件があったせいなのか、食べたもののせいなのか、その晩こっちの部屋に入ってきてこう言った。

「俺、今晩、ここに一緒に居ていい?」

かわいかったな、温かかったな、その言葉。

途中、食堂車である男と知り合った。パッと見た感じかなりの年季を感じさせるマイノリテイ。名前はわすれた。彼はロスアンジェルス手前の確かアルバカーキだったかな?そこで降りていった奴なんだけど、そいつとビーを飲みながら適当に話して。そいつが言うにはアメリカ人は全員「Wanna be's」つまり「成りたがり」でしょうもねぇやつらだって言ってた。それに対してそれは日本人も一緒だよ、って僕は言って。お互いの自分のダメ具合に共感したふりして。だけど、今思い出すとさ、あいつの言ってたあの言葉。あれは本当だったんだなと。今のサブプライムローンの問題を見ても。つまり「Wanna be's」じゃなければあんなでデタラメなことは起きないはずでしょ。今起きていることは、かわいそうだけどあれは完全に「Wanna be's」の崩壊だ。あいつが忌み嫌っていたものが壊れつつある。奴が降りた場所は映画のセットみたいな場所だった。バーボンストリート。まじで砂漠。ちょっと歩くと口の中がじゃりっじゃりっになりそうなところ。
あいつは成りたいものに成れているのだろうか?あの茶色い場所で。成りたいものすら無さそうだったけど。

今、考えると夢のような経験だった。旅ってさ、大体、そのときは味わいきれなくてもあとでじわじわくるよね。旅ってそういうものなんだと思う。
その瞬間は大体何だかよくわからない。ま、それは自分の場合だけど。旅は後味が命。

出会い、空想し、そんなことを思い出し、あっという間に後ろ半分が崩れかけた自宅が見えてきた。だいぶ、屋根に雪が積もっちゃってるな。降ろさないとヤバそうだ。

プリン小屋からここまで歩いて20分。

俺、やっぱりワイハに行きたいのかも。




今週読んだ105円本
「わが友 アイルトン・セナ」桜井淑敏著


(次回1回お休み予定 基本的には隔週月曜更新です)