ロボットの証明





約20年弱前、大人になりきれない子供達が早朝の恵比寿の交差点のど真ん中でバスケをやって通報された。
当時「いかおかか弁当」しか食べていなかったような男が、今や生意気にも有機野菜のことについて話している。
酒の自販機に電気が入る午前5時を待ちきれずに、毎朝、午前4時50分に街に飛び出していたあの男は、今やブラックカードを財布に忍ばせる社長なのさ。
人の子の親になった者も多い。随分と遠くに来たもんだ。
でもどっこい人生は続いているみたいよ。
そんなポイント、2008年。再びライジングサンロックフェスティバルに集まることができた、いいかげん大人になったか?の彼らと一基のロボット。
時も場所も当時は想像もつかなかった地点で古くからの友達と再会する。
こんな幸せなことってあるだろうか?彼らはまだしぶとく音楽をやっている。そしてこの僕が育った乾いた空の下で音を出す。

才能って何だろう?
それに対する答えは2万4010通りあると言われている。
あくまでもその中のひとつの答えとしてとらえて欲しいのだが、最近、僕は何かを続けていく体力、その体力そのものを才能っていうんだと思ってる。
奇抜な発想であるとか、新しい表現とか、逆にそういうのは才能とは違う話なんじゃないかと。若い頃は全く逆の考えだったんだけど…。
ポンと人が思いつきもしないものができることって、誰でも起こりうるんじゃないかな?

だって人は例外なくみんなオリジナルな存在なんだから。
それは才能というより運なんだと思う。運はね、どうにかなるよ。なんてね。
ただ、それをずっと続けていくとなると、それはもう才能でしかない。
だから何にせよ「続けてなんぼ」っていうか、逆説になるけど、続けている人は才能があったってことなんだと思う。それはどんなくだらないことで金にならないことでも。
マッチでタワーを作るのも35年続けたら天才だと思うし、草笛を130年間も吹き続けたらそれは長寿記録ってことなんだと思う。間違いなく。
そういう意味では僕の周りには才能に溢れている連中が一杯居たってことになる。
だって、音楽業界で20年間を第一線でサバイブできてるってことは、ちょっとした天才だぜ、マジで。誰が何と言おうとその年月が証明しちゃってるもん。
そんな天才達の中に凡才(自分)が一人。
前回にも書いたけど、当時自分のやっていることに特に自身がもてない時期だったので、頑としてやりたいようにやってる彼らに対しては、少なからずコンプレックスを持っていた。

これ、今だから言える圭吾の告白、ぽっ。

本当に彼らには僕が知らない世界をたくさん見せてもらった。あんな朝、あんな場所、あんな業界、そして薬師丸ひろ子。
今度はやっと僕が彼らの知らない世界を見せてあげる番がきたってわけだ。というのも、今回このフェスに来た連中の何人かとロボット一基を引き連れ、平沢に帰る予定なのだ。
どんなものを見せてあげようか?その段取りを考えつつも、この二日間は存分に楽しませてもらうぜよ。佐波くんも来ればよかったのに…。

会場に入ると、さっそくバーベキューの狼煙(のろし)が上がっている。既に自宅と化してるテントもある。音楽と生活感。正しい。NO MUSIC で日々生きるには世の中辛すぎるわ。
去年に続き天気はパッとしないけど、そんなこと気にすんな。北海道の夏はこんなもん。
昨年は恥ずかしげもなく水筒に焼酎を満タンにして入場したが、今年は止めました。珍しいお酒が一杯売ってるし、そして安い。カトキチやケニーととりあえずビールで乾杯。
こういうときのムラはかわいそうだ。一人だけ呑めないから。4人のソフトキチガイの中の唯一人のシラフという毎度の構図。ムラ、いつも悪いね。帰りに富良野生協でケーキ買ってあげるね。とりあえずぅ!

「また、こられたじゃーん、かんぱーい! 神様、こんな虫ケラですいませーん!」

それにしても、いろんな音楽があれども、やっぱりロックはいいなぁ。特にライブがいい。
どうしてこんなにもありきたりなのに、どうしてこんなにも色とりどりなんだろ?
別に斬新な曲じゃなくても、どっかで聞いたことのあるような曲でも、下手くそでもハマってしまうバンドってのは何故かハマってしまう。
これね、いい歳こいて恥ずかしいこと書くけど、人を好きになることと似てる気がするんだよな。理由がわからないけど、ハマってしまうというのは。
実際ムラのどこが好きなのか俺にもわからないもん。会話も全く噛み合ない。趣味も合わない。不思議だ。惹き付けられるのは得体のしれない個性?のようなもの。
個性って、頭がトグロ巻いてるから個性的だとか、格好がゴスロリだからとか、そういうことではなく、意図せずどうしょうもなく自分から染みだしてしまっているもののことを言うんだと思う。

同じにしてるつもりでも、どうしても同じにならない部分、どうしても染みでちゃうもの。
ロックで例えるなら、いろんなバンドが「サディスファクション」を完コピしても、相当いろいろになるはずなんだ。神経質そうな「サディスファクション」とか、清々しい「サディスファクション」とか。つまりそれが個性ってことになるんじゃないのかな?
だから「自分探し」って言葉もよくわからないんだよな。自分を探さないで、自分を絞った方が早いと思うんだけどな。つうか、君、もう染みでちゃってるぜ。
そしてロックってそういう絞った出汁(だし)の魅力で勝負している音楽のような気がする。だからロックは具は少なめでありきたりな方が好き。これラーメンと一緒。

いろんなバンドを見た。みんな最高だった。出汁はウソつかない。

東京に居るときからずっとおっかけてるバンドも幸運にも見ることができた。
そうさ、俺はおっかけさ。おっかけおじさんなのさ。
でもあるとき、これってヨン様おっかけてるオバハンと同じ図式だと自分で気付いて寒くなった。

友達のステージもすばらしかった。いやいやごちそうさまでした。コーヒー焼酎が美味い!黒ビールが美味い!あー俺も来年こそはテントの中で呑みたい。轟音に抱かれて眠ってみたい。二日目の深夜、40過ぎのこの身体ではハードランディングにもなりかねない。朝日を見ることなく帰宅。

そして次の日の朝、20年越しで僕の番がやってきた。

この移住をきめたとき、いろいろな友達、いろんな分野の人に相談した、それこそ何十人にも。相談っていうよりも、俺っておしゃべりだからベラベラしゃべっちゃうだけで、別にアドバイスは求めていなかったんだけど。
当然、当然分かってくれると思った人の反応が悪かったり、その逆もあったり。ただ「この人、ピンときてるな」と自分が感じたことは皆無だった。あるときから人に言うのを止めた。とにかく「どこから話せばいいの?」ってくらい噛み合ない。
そんな中で、本当に何の詳しい説明もいらずに、どうして今北海道なのか?詳しい断片よりも全体のノリをピンと感じてくれた人が二人居た。
このノリってのが実は人に一番伝わりにくい部分だった。別に人生をゆっくり、のんびりと生きたいわけじゃないってことが。その二人の内の一人が今回来る。

決して顔には出さなかったが、僕は燃えていた。だって「これは言ってたほどでもないね…」とか思われたくないじゃん。へへ。

石狩でしこたま海鮮を買い込んで、平沢へ。

到着、車のドアを開け都会の羊達をこの北の大地に放牧。

きゃっきゃ言いながらあちこちに散っていった。

僕は自慢げに家の横の畑をみせびらかせるのだ、ここぞとばかり。

「あれだ、あれやりたいでしょ?君たちみたいな都会の人は。わかってますよー」

「何?何?」

「トマトとか摘みたくない?俺もそういうのやりたかったもん」

「素敵!」

「天才さんその1」の発する言葉は天才というよりも、むしろおばさんに近かった。
トマトを摘む収穫の絵図は、さながら受刑者の野外労働に見えなくもない。
ロボットの語源はチェコ語で労働。
あのとき恵比寿の交差点のど真ん中でバスケをやって通報された連中は、今、囚われの身となってトマト摘みの作業をしている。

遠いね、実に遠い。
あのとき想像もしなかった遠い場所に僕たちは居る。信じられる?。これから20年後はどんなだろう?もっと遠くにいるのだろうか?今、想像すらもできていない場所に。

あっという間に、いい塩梅の時間になってきましたよ。BBQ会場はあそこしかない。加藤サンセットバーベキューパーク。さぁ場所を移して、再び天才さん達の放牧です。
「天才さんその2」は、さっそく力加減も考えないで、柵にもたれ、折る。
もち想定内。
でも、いきなりこんな場所に連れてこられても実感わかないよね。

BBQは彼等の足が地につくスピードに合わせてゆっくりと始まった。

牡蠣、ホッキ、白貝、帆立、にしん、カレイ、ホッケ、ホヤ、塩ホルモン、俺のトマト、俺のピーマン、俺のきゅうり、俺の茄子、俺のししとう、俺の、俺の。

彼らが野菜を口にする度に、ついつい「それ、俺の」って言ってしまう。
うるせーよな、食べてる側からすれば。でも今だけは言わせて。今晩だけは黙って抱いてよ、圭一。

たかが食べ物に浮き足も立てない男の言葉は信用しない。いい歳こいて唐揚げしか美味そうに喰わない奴とはつきあえない。そういう意味では本当にみんな喰わせがいのある連中だった。

まいったか!これが北海道でぇ!

8月も半ばを過ぎれば、セーターを来ても違和感がないほど肌寒い。
豚釜に火をつけろ!もっと燃えろ!月が異様にデカい夜。そして12時を過ぎれば、なんと俺の誕生日。エスカーリア、エスカーリア。今日はUFO絶対出るぜ。
ところが寒くてその時間まで宴会は続かなかった。チャン、リン、シャン。

翌日、目をさまし、下に降りると男が玄関の前の椅子でうまそうにタバコを吸っていた。まるで、もうずぅーっと前からそこに居たかのように。自分の居場所を見つけた馬鹿デカい猫のように。
相変わらず本当に美味そうにタバコを吸うなぁ…。

「ロボ宙」というけったいな名前を持つこの「天才さんその2」のタバコをくゆらす姿を見る度に、もう10年も吸っていないそれを口に運びたくなる。
煙りの香りの中で、ぽつん、ぽつんと僕ら何かを話したような。
彼が去ったあと、彼の残した吸い殻に釘付けになる。なんとも、また美味そうなんだわ、そのくちゃっとした形が。
僕はそっとそれを口に運ぶ。寸前。
この天才型ロボットとも付き合いが長いな。
昔はむしろあんまり話す仲ではなかったのだが、あるときからお互い染みだしているものに惹かれあっていることに気付いたのが、人間とロボットの恋のはじまり。

翌日、ロボ宙とケニー以外の友達の二人は「今度は真冬に来る」と息巻いて、慌ただしく東京に帰った。少しは何か返せたかな?少しはちびってくれたかな?

「なんか、すっごく楽しかった」ムラがムラにしてはめずらしいことを言う。

その後、彼等は5日間ほどいた。デジカメで写真をチェックするとロボ宙は誰よりもそこに長く住んでいるように写り込む。あれほど土地にさっと馴染むことのできるキャラもめずらしいな。

あっという間に帰京の日。帰りの見送りではロボットが泣きマネをする。これ、たぶん新機能。

「あー、みんな、いなくなっちゃった」また4人です。ま、それもいいんだけど。

彼らが帰ったと同時に北海道には寒気が入り込み、8月として観測史上最低気温を記録する。こういう中途半端なときが一番寒い。

しばらくすると、ロボ宙から段ボールが届いた。中を開けてみると珈琲を煎れるときに使う茶色のポット。お湯の出口が細いやつ。

えーマジ? これ、今、俺が一番欲しかったやつじゃん!どうして分かったの?これも新機能?

「俺のOSもバージョンアップしてんねん! これがロボ宙TIGERです どうぞよろしく」

電話から聞こえる声は逆にとても人間臭い。

きっとこの夏のここでの体験を彼に尋ねても、黙って3回うなずくだけですべてを表現してしまうのだろう。ロボ宙とは昔からそういう男なのだ。

東京の友達からメールが来た。富良野のことを聞いたそうだ。
それは僕の予想を越えていた。

うなずいたのは3回ではなかった。


2回こっきりだったそうだ。





今週読んだ105円本
「ケータイを持ったサル」正高信男著

※TIGERってのは、マックOSの名前です。
※そのインストールが不完全だったらしく、「ゴリラ豪雨」って普通に口すべらせてました。
※こないだ、だいぶ昔のロッキンオンジャパンを見てたら、僕のデザインさせてもらったロボ宙のCDのレコ評の真裏が、今回書いてる僕がおっかけおじさんしているバンドだったって判明したんですよ。すごくないですか?コレ。だって同じ年の同じ月の同じページのしかも6つぐらいある欄のなかでの真裏ですよ。いやー今回は繋がったね。壮大に!
※次回更新は11月10日です