檻(おり)の中のローライフ




全て凍った。
十一月二十日、札幌から戻ると家の中のすべてものが凍っていた。唖然。
凄まじい破壊力。いきなりの不意打ち。油断していた。
北海道に育った僕でも、11月にこんなに寒くなるとは想像していなかった。
野菜、ビール、シャンプー、花、台所の排水、CDデッキ、チャッカマン。
CDデッキもね、凍るんだよ。トレイが出なくなるの。
チャッカマンも凍るんだよ。火がつかなくなるの。
花にはかわいそうなことをした。

そもそも富良野に帰る道中も、かなりの冷や汗ものだった。
札幌の実家を出たときはアスファルトには雪もなく、父から止められたものの、僕はそれを無視し、山間部を通る富良野までの一番近いルートを選んだ。
途中まではよかったんだ。山に入ってからだよ。
道はどんどんシャーベット状になってきて、その上に自由奔放なラインの深いワダチが。
実は僕の車は二輪駆動。俗にFRって言われているタイプ。
こっちの車を観察すると、やっぱりほとんどが四駆なんだな。
ギリギリまで買い換えるか迷ったんだけど、なんか悪いクセで挑戦したくなったんだな。わかんないけど。
春になってさ、「いやー、二駆でも充分ですけどね。なんでみんな四駆なんすかね?」
これが言いたくなっちゃったんだな。
結局、この冬はこの車で突っ込む選択をしたのだ。

その選択を、その道と悪戦苦闘しているとき、いかに後悔したことかノ。

この時期の雪が一番滑る。もっと寒くなると逆によくグリップする。
慎重に走りたいんだけど、ある程度スピードを乗せていかないと、とにかく二駆は坂が登ってかない。こんなところで途中で止まったらノ。
その時、たぶん午後二時くらいだったと思う。これから気温が下がって、解けている雪が凍りはじめたら本当にやばいことになる。すなわちプチ遭難。こういうところに限って携帯も圏外なんだ。
ムラが心配して横でなんかちょこちょこ横で言ってる。うるせぇ。

「ムラ、悪いけどさ、今、話かけるな!」

おじさん、久々に真剣になった。喉カラカラ。
下りの直線でいきなり車のお尻が振れ始めた。真っ直ぐにすら降りられない。
スキーのパラレルターンみたいに、何回もカウンターをあてても全然収まらない。

声も出なかったね。

左車線をキープするどころか、道路にとどまることすら難しい。もし対向車がきてたらノ。おまけに、そのゲレンデわきには無残な姿で車が落っこちてるのを発見。

「げーっ!車が腹を見せて落ちてるよ。ドライバーの人、大丈夫かな?」

灰色の空の下の地獄絵はまるで緑山のたけし城。

次のステージへ

無事に地獄シャーベットゲレンデをクリアしたものの、もう完全に日は落ちている。
買い物をして帰ろうと計画していたのだが、僕らはホーマックでコンクリのブロックだけを買い、それを車の後ろにバラスト代わりに積んでそそくさと富良野を出た。ブロックを積んだ車はかなり乗りやすくなった。いきなりどこかにフッ飛んでしまいそうな挙動はしなくなった。

最後の麓郷越えもクリアし、ゴール。

クタクタになって帰った僕らを待っていたのは、すべてが体験したことのない世界だった。
キンキンに冷えた家の中。冷蔵庫に手を入れてびっくり。暖かい。冷蔵庫で暖をとる。それはウソ。腹減ったな。実家からもらってきた漬物をポリポリかじる。二人とも無言かつ半笑い。どちらかがすかしっぺ。僕はさっさと酒を飲んで寝たかったのだが、そうもいかない。嗚呼すばらしきファッキンスローライフ。ストーブに火を入れ、凍ってるものをすべて融かし、家の中に入り込んだ雪を外にかき出した後、僕はやっとおもっくそ焼酎を飲んで寝た。
この感じ、思い出した。このあたふた具合。あの夜とそっくり。ガツンとやられる感じ。久々に味わったな。

その後は寒さは少々弱まったものの、十一月にしては真冬なみに冷え込む日が続く。スタートラインで柔軟体操をしていた僕らの耳もとで、いきなりスタートを合図する空砲が鳴った。ウォームアップスーツを足にからませ、ヨタヨタ転びそうになりながら、慌ててスタート。この長距離、はたして長く感じるのか?短く感じるのか?

冬の暮らしはしなければならないことが、夏の何倍もある。毎日の暮らしは、そんなに暇な印象はない。
風呂に入るのも、洗濯をするのも、ここではまず融かすことからはじめなければならない。
毎日必ず水道管の水は抜かなければならないし、身の回りのことをキチンとしておかないと死活問題になることが多い。死ぬって言ったら大げさか?。それでもゴリ押し、死活問題。もひとつ意味なく前田吟。
たとえば、朝一でストーブ付けるとき、たぶん室温は0度ちょいだと思うけど、パジャマ姿でライター探すのはつらいべ?だからライターの場所が必ずこことか、懐中電灯は必ずこの場所とか、手袋は必ずここにかけるとか、キチンとしておかないと後々非常に辛い目に会う。いや、辛い目というよりも余計にめんどくさくなることが多い。水道管を凍らせてしまったら、目もあてられないよ。昨冬、アムちゃんは水道の蛇口からポタポタと水が流れているのに気づかなかったために、排水のパイプの中を凍らせてしまい、相当めんどいことになったそうだ。
そういうのはいやなので、整理整頓は僕の一番苦手なところなんだけれでも、直さざるえなくなってる。自分で言うのも手前味噌だけど、だいぶ変わったと思うよ、俺。
帰ってきて帽子をキチンとフックにかけるその瞬間、この事実を誰かが見ていないのことがとても悔しい。

「俺、なかなかやるじゃんノ」。

でも、なんで誰も見ていないんだよ。この俺がフックにちょこんと帽子を掛けてるんだよ。ちょこんとさ。魂を売り渡してるんだよ。佐波くんならわかるよね?ありえないよね?
前にアムちゃんから「アフリカの人達の家は粗末だけれど、凄く綺麗に整頓されと清掃がいき届いている」って聞いたことがあって、それを聴いたときに、「あぁ、やっぱりシンプルで綺麗な心の人達は、それと同じ世界を外界にも求めるんだなー」なんて呑気に考えていたのだが、どうもそうではないらしく、彼らがそうするのは汚い環境に居ることは、衛生上、例の死活問題になるのだからだそうだ。その意味がここに来て腑に落ちた。

平沢=アフリカ説

薪ストーブもいよいよつけ始めた。これはおもしろい!
自分の家の居間で火を見る感じは凄く新鮮だった。酒を呑むと、いつのまにかトローンとした眼でずっと火を見ている自分に気づく。んーまんだむ。

「ねぇマスター、UAかけて」

でも、まだガンガンには焚いていないせいか、イマイチな暖かさんだけど。
カトキチの家の鉄板製のものは、薪を入れると肌がピリピリするくらい熱くなる。
家の鋳物製のは、そういう暖かさはないな。暖かさがやわらかな感じがする。
暖かさの質が違う感じ。でもこのパンチのなさで大丈夫なんだろうか?だって今でちょうどいいくらいの暖かさだもんな。

朝一で火を点けるノウハウも急ピッチでもっか研究中だ。僕の着火方式のベースは「加藤式2段平列薪ちらし序重ね ハー18」という方法なのだが、これは早い話、カトキチの真似。カトキチは1年間の試行錯誤でこの方式を開発したらしいのだが、実はこの「加藤式2段平列薪ちらし序重ね ハー18」、この方法はこの村に古くから人の方式と酷似してたらしく、彼はそのことにかなり驚いていた。僕もこの「ハー18」から始まり、独自の開発を続け、現在では「ハー20.5.5」までバージョンが進んでいる。この「ハー20.5.5」は「ハー20.0.1」に踊りを加えたものだ。僕たちは、がんび(木の皮)一切れだけを入れ、火が点くことを「一発で火が点く」と言う。大体は二切れか三切れ、調子が悪いと薪のフォーメーション変更を余技なくされる。最初のうちは「一発で火が点く」ことはめったになかった。最近では少しこつを覚え、「一発で火が点く」もしばしば。そしてその一発点火を祝して踊るのが「ハー20.5.5」だ。

一発でついたことを確認すると、その時の審判役に申請する。
「自分はここに一発で点いたことをここに宣言します。確認願います」

「確認した」

踊りがはじめる。
「いっぱーつ、おーじさーん!」「いっぱーつ、おーじさーん!」(踊りのイメージは田原俊彦で膨らませて頂くと、近いと思う)

ところが、この一発点火。ムラの方がくやしいことに得意なのだ。ムラの場合はこう踊る。
「いっぱつ、むすーめ。どんどんどん!」「いっぱつ、むすーめ。どんどんどん!」(踊りのイメージはなんだろ?やっぱムラはムラ?)

くやしさもあって、その横では必ず僕は突っ込みをいれる。

「むすめじゃねぇし…」

この秋から冬にかけてアムプリンや加藤家が何誌か取材を受けた。
さすがだなーと思う文章、イラストがすばらしかったもの。
わざわざここに足を運んでくれた人達にまず感謝したい。
自分自身が取材を受けたわけじゃないから、偉そうなことは言えないんだけど、
プリンそのものにフォーカスしたものは、どれもとてもよかった。
しかし、ここでの空気感や暮らしの実際を表現するのはとても難しいんじゃないかって思った。
何故ならば、実際、何もおきていないというのが実際だから。
これは言葉の遊びじゃなくてノ。(ナヌ?遊びになってないって?)
例えるならすごく薄味な日常だ。口に入れた瞬間、ほとんど味がしないんだけど、何か遠くから甘みがやってくる。みたいな日常。
ここの暮らしは、濃い味に慣れているとほとんど味がしないと思う。
最低でも2週間ぐらい一緒に居てもらえたなら、舌に残っている味が消える。
そのサラの状態から感じるままに料理してあるものが見たかったというのが素直な感想。
「エコロジー」とかそういう調味料はあんまり使わないでさ。アレ、臭いキツイべ?

みんな綺麗なストーリーが読みたいのはわかる、わかるよ。僕も泣きたい。
タロとジロを見て素直にエンエン泣ける性格だったら、どんなに生きていくのが楽だったろうと思うよ。本当に泣きたい!だけどアレ見て泣けないもんな。わりぃけど。
アムちゃんだって「このシーンのタロ、何頭目のタロ?」って平気で言いそうだしな。
綺麗なことないよ。僕たち。

それにプリンが売れなくなったら普通にハローワーク行きだし。全然普通。全然貧乏。
だけど個人的には、こんな風に見えても逆に「物語の世界に生きていない」ってことこそが、一番おもしろいところだとは思うんだけどね。どうでしょう?
たとえば自分が見出しをつけるとしたら、

「白銀の北海道、雪の中にたたずむ四人の小汚いアダルトチャイルド」とかさ。

「アムプリン、実はああ見えてお金には汚い人達」とかさ。

「衝撃!穴の開いてない靴下がない!」とかさ。

「検証!大便を自宅でしようとしない人達」とかさ。

「今話題の自然派プリン屋さん、大好物はメガマック」とかさ。

「(自称)地球にやさしい人達、地元ラーメン屋の味付けにはやけに厳しい」

みたいなね。

ま、そんなのみんな見たくはないだろうけど、そういう切り口も個人的にはアリだと思う。
要するに、みんなと同じ現実と問題と矛盾を内包しているっていう。その上で「物語風」に出来てるってことこそがおもしろいんじゃないの?つまり僕らが出来ることは誰でも出来るっていうこと。そのベースラインを切ってしまったら逆にあんまりおもしろくなくない?
それじゃ檻の中の動物と同じだもんな。動物は違う世界に生きているから。
ま、動物も悪くはないか…。
なら、ラクダがいいな。背中に溜め込むって、かなりおしゃれだよね。裏背中系。
ラクダになった僕はこう言う。

檻(おり)の中へようこそ。




今週読んだ105円本
「単独発言 私はブッシュの敵である」辺見 庸著