猫の体の真ん中に在るのは完璧な静寂さだと思う(ネッキン編)




我輩はクロである。名前はまだない。
クロというのは、僕らが飼っている猫のことである。
幸か不幸か、東京から拉致され、遥かに離れたこの地に住むことになってしまった、野良猫のことである。みんなの口から出る言葉は「コロちゃん元気ですか?」とか「コロちゃん、かわいいですよね」ってカトキチのところのコロのことばかり! 我が家のクロが不憫でならないので、今回はクロのことを書いてみる。あと猫のことを書くと女性の受けが良いらしい。カトキチが言ってた(うそ)。ほほ。
ここはちょっとおっさん臭が強くなってきたからね。

もともとは犬の方が好きだった。
僕の場合、興味の対象外の物は、たとえ視界に入っていっても本当の意味では全く見ていない、これはすべてにおいて。
だから猫はじっくり見たことすらなかった。黒目の大きさがころころ変わることも、手や足の形が漫画のまんまだってことも知らなかった。知っていたのは、なにか身体がすごく柔いらしいということぐらい。でも、猫になつかれることはよくあったな。川原で友達と一緒にいても、野良猫は何故か僕のところだけによってくる。そういうことは一度や二度じゃなかった。でも、僕は見てないんだけど。

それがこっちに寝返ったのは完璧にムラの影響だ。
ムラは子供のころから猫と一緒に寝ているような子だった。ムラと暮らすようになってから、よく猫の話を聞いたりしているうちに、なんとなくそこらの猫を意識して見るようになっていったんだと思う。そして、それが決定的になったのは、クロちゃんの前に飼っていた、ネッキンという名の猫の出現によってだ。
ネッキンはある日、突然現れた。
ある日、自宅でいつものように仕事をしていると、何か横から視線を感じる。横を向くと誰も居ない。しかし、視線を下に移すと、かなりいびつで、小汚い模様の野良猫がちょこんと座り、じっと僕のことを見ていた。かなり前から居たらしい。

「なんだ、お前? ここで何してるの?」

手を伸ばすと逃げるどころか、こっちによってきた。
ムラ曰く、そういうのは野良猫が、餌が欲しいためによくやる「ぶりっ子(平成生まれのキミ、この単語の意味わかる?)作戦」なのだそうだ。そして、それにまんまと引っかかった僕。

そのいびつな模様の野良猫は、それからほとんど毎日通ってくるようになった。
起きると、サッシの擦りガラスの向こうで、茶色い模様がちょろちょろ左右に動いているのが見える。

「ムラ、あの野郎、今日も出勤してるぞ! ニャロメー!! にやにやにや」

ムラは本当は猫が飼いたくてたまらないんだけど、当然、僕らは賃貸。飼える環境ではないので、なるべく情が移らないように、彼女はちょっと遠巻きに見ていた。
だけど、一番最初に牛乳をやりはじめてしまったのは、たぶんムラだったと思う。
その後はだんだんどうなっていったのか、野良猫を飼うことになった人はよくわかると思う。
家には絶対入れなかったのが、家に入れ、窓際1メートルの範囲で遊んでいたのが、奥の部屋にまで入るようになっていった。
いつしかその猫は、毎日通ってきては、僕の仕事のしている後ろ、赤い椅子の上に丸くなって寝ていくようになった。いや、実際はほとんど仕事になってなかった。僕は猫の周りに漂う時間の流れが特異であることを生まれて初めて実感し、その時間におじゃまさせてもらうごとに、有頂天になっていった。

仕事をちょっとして、クルリと振り返り、その猫の丸くなった身体の真ん中、腹の辺りに鼻を埋めて、ぽんわり生温かい空気の臭いを嗅いでみる。

「くんくん、なんか、すんげーいい臭い! やっぱ天然物は違うな〜。 猫ってこんなにかわいかったのか!」

まじまじと眼を眺めていると、人間と猫の区別がなくなったり…。
白状してしまうと、その猫はメスだったので、時に異性として感じるときすらあった。かわいい娘を見ているのと同じ気持ち。

「結婚してください!」

猫に頭を下げながら、プロポーズするこのギャグは、ムラには不評でした。
それ以上に不評だったのが、目を閉じて、お腹のお乳をチューチュー吸うまねをしながらこう言う。

「おかあさん、会いたかった…」

これは、自分でもかなりハードコアな領域に達してたと思う。

もうその頃には、名前も「ネッキン」という適当な名前で呼ぶようになっていたし、それまでは、夜にはケジメとして一度外に出していたのが、家の中で寝させるようになっていた。もう飼うしかない。というより、もう既に飼っているわけだから…。幸いネッキンは爪とぎを、どこでもガリガリしたり、暴れまわるようなわんぱくな子ではなく、気弱で華奢な猫だった。

「ネッキンだったら、こっそり飼っても家も傷つけないし、大丈夫なんでないの?」

そうと決まったら、ネッキンに予防接種を受けさせようということになった。ムラはそれは飼い主としての最低限の役目だと言う。 動物病院に一日入院することになったネッキン。そのモロ野良猫の風体に対して、かごの名札に丸い文字で書かれた「ねっきんちゃん」という文字。なんか笑えるバランス。そして、なんかはずかしい。しかし、これで晴れて我が家のイリーガル猫になったわけだ!そんな気持ちの区切りがついた。

それからも、猫との暮らしはまだまだ新鮮。
たとえば、夜は仕事場の椅子で行儀よく黙って朝まで寝ていたのが、夜中に騒ぎだしたり、不用意に近づくと、牙を剥くようになった。

「ムラ、最近、ネッキンが俺に牙を剥くようになってきたよ」

「やっと、本性が出てきたんじゃない?だってそれが「猫を被る」っていう意味だから」

「えーっ! まさにそれじゃん! その言葉のまんまじゃん! すげー!」

「ほんと、いつも寝てばっかだな、こいつ」 「だって寝る子だから寝子(猫)っていうぐらいだからね」

「水替えた?」 「水なら朝にあげたやつが残ってるよ」

「そんなの、飲まないよ。ちゃんと替えないと。猫はね、新鮮な水が好きだから」

そんな馬鹿なことあるかい!さっきの水と今の水のどこが違うんじゃい!俺でも区別つかんわい! ところが、ムラが水を替えると、ネッキンはぺちょぺちょそれを飲みだした。
凄い!ムラ。本当に猫博士なんだな。

夏の終わりに初めてネッキンが我が家にきて、そしてまた夏になろうとしていた。
その夏、僕たちは北海道に行く予定だった。カトキチのところにネッキンを預けて。
ムラはそのために、猫の習性、ネッキンの特色を細かく書いた「ネッキンノート」を完成させた。ところどころに入ったくねくねした線で書かれたイラストは、とてもネッキンっぽくて、そしてとても猫っぽくて「やはり年季の入った猫好きは流石だな」と僕をうならせた。

ネッキンの元気がいきなりなくなった。最初に気づいたのは、やっぱりムラだった。僕はことの重大さに気づく神経を持っていなかった。

「病院つれて行こうよ」 「えーっ、病院?」 

「そんなに悪い風には見えないけどな」 「絶対、おかしいよ」

僕は動物にむやみに薬を投与したりする考えには賛成できない。ましてやネッキンはもともと野良猫だ。生物としては完璧なバランスで生きてきたわけだから、そのバランスに手を加えてしまうことは、長い目で見た場合、寿命を縮めさせる可能性すらあると思っている。だから外科的にしょうがないこと以外は、なるべく連れて行きたくない。しかしあまりに猫博士がしつこいものだから、しぶしぶ連れていった。採血の結果は全く予想していないものだった。ネッキンは猫白血病であり、容態はかなり悪く、数日が山で、今晩に死ぬ可能性もあるという。聞いた瞬間、医者が医者役の俳優に見えた。自分の靴が半分床にめりこんだ。気がした。医者役はセリフを続ける。

今晩?そんなこと信じられるか。

「とにかく今日は入院です。 しかしこの病気にかかるとかなり高い確率で死んでしまいます。今日たとえもっても、そう長く生きられないでしょう。とても苦しむので安楽死させてあげることも、ひとつの選択として考えておいてください」

「あの、猫白血病のワクチン打ったはずなんですけど…」 

「生きている野良猫はだいたい抗体を持っているので、逆にワクチンを打つことで発症してしまうということもあるんです。だから野良猫だった子にはあえて打たないという飼い主さんもいらっしゃいます」

僕ら、なんにも知らなかった…。
ネッキンはその晩はなんとか生き延び、僕らは連れてかえることにした。死ぬなんて信じられないし、「安楽死」なんて言葉には全く現実感が湧かない。逆に少々の怒りも感じた。なんてことを言うのかと…。しかし、医者に言われたその言葉。今なら、確かにあの医者の言葉は、過酷な現実を見据えたやさしさから発していたんだということは良くわかる。そして今なら、安楽死させる選択をしたかもしれない。ただただ苦しい延命をさせてしまったのは、結果的に見れば僕らのエゴだった。
それぐらいに、ネッキンはその後も苦しみ、かわいそうな死に方をした。

とにかく何も口に入れない。脱水になるので、背中に注射をさして水分を補給する。水分を入れた背中は不自然に膨らみ、ネッキンも苦しいのか凄く弱っているのに、逃げる。それを押さえつけて打つということを毎日していた。自然治癒力が高まるような療法を試したりしているうちに、今日は餌を食べたとか。ちょっと元気になってきたとか。もしかして直るかもよ!
しかし、医者の言ったとおり、発覚から約2週間後にネッキンは死んだ。

最後の日はそれまで動かなかったのが、いきなり机の下に潜ろうとしはじめたので僕らは覚悟した。何もしてあげることができない。舌が出っぱなしなので、そこに水をたらしてあげられるぐらい。けいれんが始まり、最後の瞬間は、ここしばらくは小さく泣くことすらなかったのに、近所に聞こえるようなすさまじい声で「ニィギャー」と泣いて、ムラの手で囲まれながら死んだ。元といえば、お前がこんなことになってしまった原因を作ったのは、無知だった僕ら。

ネッキン、最後、おまえは何を訴えたかったんだ? 

聞いてやりたかった。無念だったろうに。恨み言のひとつも言いたかったろうに。
言葉を聞いてあげることができない辛さ。そして謝ることができない辛さ。動物の死が思った以上にこたえるのは、そこだと思う。悲しみが自分の中に永遠に溜まってしまうような感じ。経験した人はわかると思う。

かわいそうに、ムラは僕以上に責任を感じてしまっている。
それを見ているうちに、ワクチンを打った医者が、全く何の説明もしてくれなかったことに対して、怒りが湧いてきた。
あのクソ医者、知ってて言わなかったんだ。小銭のために。明日、怒鳴りこみに行ってやる!しかし、ムラはそんなことは止めてくれと言ってる。そんなことしても何にもならないと…。確かに…。僕は早い話、八つ当たりをしようとしていた。そしてだんだん、あの猫が残していったこの辛さを、きちんと自分で受け止める、がっちり感じる。それがネッキンに対する、つぐないになるような気がしてきた。

火葬した日は、まだまだ暑かった。
冷房の効いた待合室のプレハブの中には、他のペットを亡くした人達。
腹の底から湧き上がる強烈な悲しみと無念さで、泣いてしまいそうになる。それを我慢するのがとても辛かった。たぶん、あの人達も同じ気持ちなのだろう。誰ひとりとしてそのプレハブの中で話す人はいなかった。そして寒かった。

遺骨はもともと野良猫だったネッキンが縄張りにしていた場所に埋めた。
僕は「ネッキンノート」をたまに覘いては、元気だったころの姿を、懺悔のように頭の中の床に染み込ませていた。

クロちゃんは、晩秋、そんな重苦しい日々を送っている僕らのところに、ネッキンと全く同じように現れた。何気なく外を見ると、あの時のネッキンと同じ場所、同じポーズで僕のことをじっと凝視していた。眼が合った瞬間、待ってました!とばかりに「にゃん」と鳴いた。

(つづく)





今週読んだ105円本
「『希望の国のエキゾダス』取材ノート」 村上 龍著